こんにちは、えびちゃんです。
まず初めに新年のご挨拶、あけましておめでとうございます。
年末から始めた成長するえびちゃんブログですが、これでもう7記事目となります。
これからもたくさん書いていこうと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。
ということで、今回は不登校になってからの母との戦いや病院につながるまでを振り返っていこうと思います。
病院につながるまでのえびちゃん
母との戦い
えびちゃんの母は、学校を休むことを簡単に許してくれるような人ではありません。
小学生の時に運動会の練習が嫌で、泣いて訴えても、学校に行かせる人でした。
そんな母と激しくぶつかるようになってしまいました。
学校にどうしても行くことができないえびちゃんを母は叩いてでも行かせようとしていました。
しかし、どんなことをされても学校に行くことのできないえびちゃん。
毎日登校時間が近づくと学校に行く行かないの喧嘩になっていました。
不登校児は家から出たらダメ…?
そんな中でもより激しくぶつかったのは、外に出てもいいか・いけないかということでした。
私は学校に行くことはできませんでしたが、ひきこもるようなことはありませんでした。
だから学校に行けない代わりに外に出たい、と思っていたのですが母が許してくれませんでした。
田舎なので近所の目もあり、学校に行かないなら外には出さない、と言われてしまいました。
家の中の環境も悪いのに外に出られないなんて余計にストレスがかかってしまいます。
昼夜逆転の生活だったこともあり、家から出る回数はぐんと減っていました。
えびちゃんのプチ家出
母と学校に行く行かないの戦いは膠着状態になり、だんだんと疲れてきました。
そんな時母に「ごめんなさい、やっぱり学校には行けません」とメールを送り、
どこへ行くのかも告げず地域の図書館へ行ったことがありました。
その時覚えているのは、「制服のままその辺をうろついていると警察に捕まる」という
妄想にとらわれていたことです。
都会では学生が制服を着て日中うろついている光景は当たり前ですが、
田舎だとなかなかいません。
警察に捕まってしまうから、と持参していた私服に途中で着替え何とか妄想から抜け出したことを覚えています。
母の対応が変わったのはここからです。
本当に学校に行くことができないのだ、苦しんでいるのだ、ということが伝わったようです。
さすがに何も言わずどこかへ行ってしまったことは堪えたのか「もう二度とこういうことはしないと約束して」と強く言われましたが、それ以上責められることはなくなりました。
そこからは、私がいつもの様子と違っていることに気づき、怒りではなく心配をしてくれるようになっていきました。
近所のかかりつけ医へ
様子がおかしいと気づかれたえびちゃん。
小さいころから通っている近所のかかりつけ医へ行こう、ということになりました。
今まで整っていた生活が昼夜逆転してしまったり、妄想や幻聴にとらわれるようになったからです。
お医者さんに学校に行けていないこと・妄想や幻聴があることを泣きながら話すと
私の目を見てこう言いました。
「あぁ、涙が出ているなら大丈夫ね」
涙が出ているから大丈夫ね、ですって!?
「目も濁っていないし大丈夫よ、一応近所のメンタルクリニックは紹介するけどね」
こう言われてしまい詳しく話を聞いてくれるような感じではありませんでした。
まぁ、内科なのでしょうがないのですが、
えびちゃんはこんな言葉をかけられて悔しさで涙が止まりませんでした。
母もこの対応はおかしい、と感じたのか大きな病院を探した方がいい、と考えるようになっていきました。
ここまでの動きがあるのに不登校になってから1か月が経っていました。
そこで次に問題になってくるのは、登校日数と父への相談、この二つでした。
高校はもちろん義務教育ではないので、登校日数が足りなくなれば、留年か退学になってしまいます。
また、父は当時単身赴任をしていたため、私が不登校になっていることは伝えると面倒くさくなってしまうため、隠しておこうという話になっていました。
父と母の関係も悪いし、なかなか伝えることができずにいたのですが、
大きい病院にかかるということ・平日に父が休みであったときに隠すことができなくなってしまうことがあったため話をすることになりました。
ここでもうひと悶着あるのですがこの後の話は次の記事で!
以上えびちゃんでした。
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